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明治45年、神奈川県高座郡相模原村小山で、原利之助とハルの長男として誕生。曲がったことが大嫌いで頑固一徹という利之助の性格を受け継ぎ、時代の流れを機敏に察知する独自の感覚で、昭和23年には38歳で、「原食料工業株式会社」を設立し、自ら代表取締役に就任。しかし日本経済全体の不況に見舞われ、昭和33年には倒産(当時の負債総額5千万円)この時の負債を全て引き継ぎ、再起をかけて同33年に「株式会社原良平商店」を設立。主たる不動産産業に懸命に取り組み、昭和37年までに借金を完済し債権者を驚かせた。
そんな折、息子の章が自動車学校をやりたいと申し出た。これからは確実に車の時代が来ることを予想していた良平は即決 し、昭和38年には「株式会社橋本自動車専門学校」を設立。良平社長の仕事の進め方は早く、猪突猛進するので一見衝動 的に見えるが、全ては緻密に計算し尽くした上で動いていたのだが、周囲の人がこれについていくのが大変だったという。
その働きの陰には、常に実枝子夫人の並々ならぬ内助の功があった。

その後も相模原に幼稚園が少なくて困っているという地域住民の意見をすぐに取り入れ昭和40年には「相模原みどり幼稚園」 を設立。昭和45年には、実枝子夫人の実家の土地を有効活用するために「株式会社原良平商店倉庫」を設立。
また、章専務と当時のみどり幼稚園の顧問からの提案にひらめきを感じ、昭和46年には「株式会社ドルフィンクラブ」
を設立。そして今後は幼稚園に体育館を造りたいと考え、園児が帰った後も施設を使えるようにと、昭和48年には「株式会社
みどりスポーツクラブ」を設立。その後企業に貸していた原良平商店倉庫返却の申し出があり、跡地利用を検討した結果、
インドアテニスクラブとして再生することに決定。昭和54年には「株式会社インドアテニスクラブ」を設立した。昭和55年には、ハラグループ企業の管理のために「株式会社ハラショー」を設立。 そしてまた、昭和61年には自動二輪専門校である
「株式会社セパルライディングスクール」を設立。

昭和63年にはハラグループ関連企業の安定化を図り、グループの将来的な課題に対応していくために「株式会社丸大商興」
を設立。平成4年に倒れるまで、原良平は地元相模原市の発展のために貢献し、実に幅広い数多くの事業を成し遂げてきた。

その時その時代に何が必要か、何を最も大切にすべきか、今何をなすべきかを天賦の感性で把握できる数少ない人で
あった。「誠実」と「努力」で始終貫かれたその人となりは、家族はもとより自社の社員からも、故人となった今もなお慕い
続けられている。







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